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花邑について
ぎんから受け継いだ「技」と「心」
現在、一番ひろく活用されている名古屋帯。
この名古屋帯は大正7~8年頃、杉江ぎんと杉戸重次郎らによって創案されました。
小津安二郎映画の着物担当として知られる浦野理一さんは、著者杉江ぎんの『帯 結び方百種』にて、「和裁のなかでも特にむずかしい仕立の一つといわれる帯の仕立て、今日では帯の大部分を占める名古屋帯も、杉江さんの創案になるものです。」と、杉江ぎんが名古屋帯を創案したことをつたえ、この本を評して、「百種もの姿をつくり出すということは帯に対する深い、愛情と理解がなければできないことです。」と杉江ぎんに賛辞を贈っています。
杉江ぎんは、明治31年に知多半島の農家に生まれ、12才の時から針仕事をはじめました。きもの、羽織り、袴などなんでも縫いこなしたようです。その中でも帯仕立てにこだわったのは、「帯仕立てが一番むずかしかったからだ」と杉江ぎんはこの本の中で語っています。
大正7~8年頃、名古屋にて杉戸重次郎らと「名古屋帯」を創案。当初は「田舎帯」とよばれ誰にも相手にされなっかたようです。しかし、大正12年の関東大震災により、人々の生活が根本から変わり、安くてしめやすい名古屋帯が注目されはじめ、戦中、戦後を経て名古屋帯はまたたく間にひろがりました。
その後、東京宝町にて帯の仕立て屋『杉本屋』を開業。杉江ぎんと親戚にあたる杉江五郎は、嫁の杉江いつえと共に『杉本屋』にて帯の仕立てを習得しました。その技は、杉江五郎と杉江いつえの長女、すぎえすみえ、孫の杉江数馬、杉江羽音によって現在も受け継がれています。
「帯を仕立てる仕事について50余年になりました。ふり返るとその間に大震災、戦争など様々なことがありました。そして今、一本の帯を前にすると気も静まり、帯が話しかけてくるような気がします。…帯に教えられるとでも申しましょうか、ほんとうに帯が生きているような心持ちです。」杉江ぎんは「帯結び方百種」のあとがきでこう語っています。
「帯のアトリエ花邑 -hanamura-」は、杉江ぎんからその技と心を受け継ぎ、布地の買付けからお仕立てまでを一貫して行うことで、上質で、締めやすい帯を皆さまのお手元へとお届けします。
「布との対話」が花邑ごころ
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選ぶ
眠っていた布地や稀少になってしまった織地のなかから、
いまだ光を保っているものや隠れた魅力のあるものを選びだします。
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労る
洗い張りや湯のしなどを素材にあわせておこない、
布地にメンテナンスを施すことで素材本来の輝きを蘇らせます。
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見る
仕立てる直前の段階で、あらためてコンディションを
厳しくチェックするとともに、帯にしたときのイメージを想像します。
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接ぐ
仕立てたときの柄行きが美しい印象となるように、
お太鼓やたれ、前の柄の配置を採寸しながら決め、接いでいきます。
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触る
布地の厚さやコシなどに合わせて仕上がり幅や帯芯の種類が変わるため、
あらためて触れながら布地の特性を見極めます。
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合わせる
仕立て上がりによれが出ることがないように、「布目」をまっすぐに
整えて、布目を通した線と線で表裏を仮縫いで合わせます。
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縫う
縫い目が均一で密な「ミシン縫い」にくらべ、「あそび」が効いて
身体にフィットしやすく、素材にも負担の少ない「手縫い」で縫います。
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聞く
布地の裏面と帯芯とを合わせる際も、裏面と帯芯とに適度な「あそび」を
もたせつつ、針先の微かな音を聞きながら、縫い綴じていきます。
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整える
表に返した布地の間の空気を抜きながら、角や端を整えて仕上げ、
さらに木板に挟んで重しをし、布地や糸が一体となるように寝かせます。